NO59:金光山 国分寺  最勝院

2006,9,16,15〜
何度も戦禍に巻き込まれて消失し、長く小庵だけの寺でしたが、現在は、
1700年終盤に建築されたなだらかな勾配を持つ大屋根が印象的な本堂となっています。

「巳正月」
国分寺を中心とするこのあたりには六百年以上も続いている巳正月という行事があります。これはその年の一月から十一月までの間に亡くなった人の家族で行われる行事です。十二月の初めの辰の夜新仏の位牌の前に祭壇を作り、お供えをします。そして巳の刻に家族・親戚一同が提灯をつけてお墓参りに行きます。お墓参りの行き帰りには口をきいてはいけません。お墓参りが終わったあとはお餅を焼き、焼いたお餅を引っ張って食べます。家に帰ると今度は塩の入ったあんころ餅を食べます。巳正月は国分寺で武将脇屋義助公が亡くなったことから始まります。五月十一日に義助公は亡くなったのですが、敵方に亡くなったことを知られると具合が悪いので公にしませんでした。そして十二月になって家来たちが義助公を偲び、人に知られないように夜中にお墓で正月の餅をついたのが由来です。







  



 



境内の端に 七福神の石像を見つけ
今年3月の「淡路七福神」めぐりを思い出し 懐かしい。

愛媛県今治市国分4−1−33

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